こんばんは、カウンセラーの本川あつこです。
先日、50歳を迎えました。
「五十にして天命を知る」、とは
人間は、五〇歳ごろになると、自分の人生が何のためにあるかを意識するようになる、ということだそうです。
自分の人生が何のためにあるか、って皆さんも考えますか?
私ってば、よく考えますw。
正直、自分らしく生きれたら一番良い、それが誰かのお役に立てるならもっと良い。ということを考えながら生きているかもしれません。
ここで、ポイントが「自分らしく」、って言葉です。
なにかこの「自分らしく」っていう言葉に「欠乏感」を感じることが多くはないでしょうか。
たとえば、
・今の私は自分らしくない
・自分らしさを見つけたい
・何かを学ばないとイケナイ
・〇〇な部分が足らない
・本当の私は〇〇なんだけど、それが出せない
みたいな。
私も、50になってもそんな部分がありますね・・。
最近、思うのは、自分はすでに自分らしさを持っている説です。
持っているのに不足感があるのは、見えていないからだと思うのです。
なぜ、見えていないかというと
多くのものを、心と頭に貼り付けすぎてんじゃない??
多くのものとは
考え方、誰かの知恵、信じたくないこと、ノウハウ、〇〇さんへの遠慮、正しさ、カッコよさ、普通であること、これが成功だという定義、もやもやした気持ち、未処理な感情etc
たくさん、着込んでいるのよね・・・
もちろん、自分を守るために貼り付けているモノもある
全部が悪いわけじゃない
そんで、私は、一枚一枚、剥がしていく(脱いでいく)ってことが、40代、50代ではめちゃんこ大切な気がして仕方ないワケです。
記事タイトルに書いたけど、「自分らしさを洗い出す」、そんなイメージです。
(すでに、あるんだから、自分らしさは。40~50年も生きていりゃあ。)
脱いで、洗い出していくのだから、心が身軽になる。あなたが見えてくる。
カウンセリングはそんなお役にも立てます。
なかなか一人では、不要なものが手放せなかったり、気が付かなかったりするものでして。
あとは、ひたすら書き出していくのもオススメです。
あなたらしくあることを、止めているものは、なんだリスト。とか
くっそー!人には言えんけど、こんな怒り、悲しみ、腹黒さがあるぜ、気持ちリスト。とか
匿名ブログなんかで、徒然なるままに書いたり、自分に問いかけたりするのも、いい。
みんな、優等生でいたいけど、実際は優等生じゃないっしょ!?
40、50になったら、優等生はあきらめて(笑)、人間くさくいこうではないか。
勇気がいるかもだけど、私がもれなく付いています!!
うまくいかない悩みも解決できて、楽になりますよ。
私も洗い出しの現在進行形です。
一緒に、人間に戻りましょう!!徐々に。
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