父親と不仲で結局最期まで父に感謝を伝えれずに、父の死後に後悔している子ども【エッセイ】

●父親と不仲で結局最期まで父に感謝を伝えれずに、父の死後に後悔している子ども【エッセイ】

夫婦問題カウンセラーの本川あつこです。

私が人生の中で一番スルーしてきた「記念日」は父の日です。

いえ、もしかすると「父という存在」をスルーしていた、というのが正しいかも。

スルーというのは

・父に感謝やありがとうを伝えたことがない

・父に感謝などを思わないようにしてきた

というのが実態です。

私が小学生の頃の父は、THE・昭和の父でした。

・絶対的な父の権力(言ったことに従わないと怖い)

・怒ると怖い

なので、父を怒らせないように、気をつかっていましたね。

騒がない、片付けをちゃんとする、わがままを言わない、父の前で姉弟ゲンカをしない、姿勢を正す、などです。

父の前では良い子をしていたわけですが、「あつこは、お姉さんだろ!」と長女ゆえに怒られたり、締め付けられることに、結構怒りを感じていました。

幼いなりに、納得が行かないわけです。

それでも我慢する、健気な小学生です。

ところがある日、6年生に成長した私は、父に対して我慢の限界が達しました。

父に対して初めて、反抗・反論をしたのです。

それで、この日を境に・・父と娘の立場が大逆転したのです。

父は私に対して気を使うようになり、私は怒られることがなくなりました。

で、父娘はほっとんど喋らなくなってんですよね。

当時の私はとてもラクでしたよ。

苦手だった父から、開放された気分でしたし、話したくないとも思っていました。

そして中学生から家を出たこともあり(寮生活です。高校以降も下宿や一人暮らしで地元を離れました)、就職後も、帰省でたまに会っても、あたりさわりのない会話のみ。

父親に感謝を伝えるのって「結婚式」ですよねー。

そのころの父は病気で会話もできなくなり、移動も困難な状態だったので結婚式には欠席。

いわゆる「これまで育てくれて、本当にありがとうございました」を伝えれていません。

父が私のことをどう思っているのか、全く心の交流をせぬままでしたね。

同じく、私が心を込めた会話を父とすることも、無かったとも言えますね。

淡々と書きましたが、書きながら後悔している私がいます。

父のお葬式の日に、「本当に子どもたちの事を愛しとったんよ。中学から家を出ることをどんだけ寂しがっていたか」と、父の従兄弟から聞かされました

私、愛されていたようです。

やっぱり・・嬉しいですね、父から愛されていたことは。

そして、やっぱり後悔もありますね。

記事を読んでるみなさんのお父さんは、まだまだご健在の方も多いと思います。

わだかまりがある父娘も居るかと思うけれど、私みたいに後悔しないでもらえたらなあ。

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