自分ストーリー(その0)出身地の島根県匹見町は「過疎」という言葉の発祥の地

 

 

ただでさえ島根県を分かってもらえないのですが

 

・鳥取と島根、どっちが右?左?

・東北だっけ?

とか。

 

島根県を分かっている人でも、「出雲大社だよね!」というイメージ。

島根県て東西に長くてね、出雲は東部、私の出身は西部なわけです。(地図参照)

それに、言葉(方言)も東部と西部では大違い。

 

匹見町(ひきみちょう)ってとこで、生まれ育ちましたが、すっごく田舎。

町面積の98%が森林なので、空気うますぎて、水もうますぎる所。

家では牛(肉用和牛)を飼っていて、まあ、ほんといい感じの所。

 

小学校は全校生徒数で8名~13名でした。

私の同級生は1人というね。英才教育。

 

複式学級といって、1,2年生が同じ学級、3,4年生、5,6年生というように、2学年が一緒になって授業を受けるの。
頭の回転、よくなるよ。

で、音楽は低学年、高学年グループで授業、体育は全校生徒みんなでやるという。
なので、あんまし上下関係なくやる感じで。
せこいこと、ズルいことも覚えれる。

 

田舎だったせいか?通えないからか?

小学生から寮に入って通学していた子も居まして。

 

小学校卒業すると、町立の中学に行きますが、通えないんで、もう親元を離れて寮生活をしてました。

掃除やら洗濯、食事配膳、洗い物とか自分でしますんで、自立します。

自主学習もね、自立しますよー。

 

私にとって(匹見の人にとって)はこれが普通のことなんで、なんとも思いませんでしたが、今、自分が親の立場となると中学から我が子と暮らせないなんて・・悲しすぎます。

(親はやっぱり寂しかったみたいですね)

 

とにかくこんな事、環境が「普通」と思ってて、ずっと日本人の殆どが職業=農家と信じ込んでいた。

 

が、現実を知ったのは、高校に入ってから。

(高校も通学できませんので、下宿生活です★)

 

社会の授業で、教科書に

「”過疎”発祥の地 島根県匹見町」というデカ見出しで、2ページ記載されていたのに、ビックリしました。

 

え?うちんとこやん!?

 

「過疎」って言葉は、昔からあった言葉じゃないんですね。

昔の匹見町の町長さんが国会で、この言葉を使って訴えたのが始まりだそう。

 

WIKIPEDIA 「過疎」 の説明ページより抜粋

日本語の「過疎」と言う語は島根県美濃郡匹見町(現:益田市匹見町)の大谷武嘉町長が昭和40年代に国会にて、過疎と言う言葉を使用し津々浦々と切実に町の現状を訴えたのが始まり。

 

そうなんだー!

それに高校生になって、農家がメジャーでないことも知った(笑)

 

そんなすごい田舎ですが、私はとっても故郷が大好きです。

 

空気がうまい(空気が違う!)のと、田舎だったんで、地域の方々に育ててもらったという思い出が強いのと。

それに、少人数でなんか、一生懸命、「生ききった」時代を過ごした記憶が強くて。

 

原点・ルーツ、というやつです。

 

都会に出ても、どこいっても、こんな原点があるから、私はへこたれんのよ。

 

そんな気概があります、私には。

 

以上、出身地紹介でした。

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