田舎自慢!「過疎発祥の地」と呼ばれた島根県匹見町で生まれ育ちました 自分ストーリー#0

こんばんは!
本川あつこ(ほんかわあつこ)です。

島根県出身のわたしは、ただでさえ「島根県」を分かってもらえなくて悲しくなります。

・鳥取県と島根県、どっちが左?

・東北地方だっけ?

とか。

島根県を分かっている人は、「島根といえば出雲大社だよね!」とイメージされますね。
だがしかし、島根県て東西に細長くて、出雲は東部、私の出身は西部なわけです。(地図参照)

それに、言葉(方言)も東部と西部では大違いなんですよ。

私は匹見町(ひきみちょう)ってとこで、農家の長女として生まれ育ちました。
山と川に挟まれたとっても田舎で。

田舎、田舎といっても、人によってはイメージが違うので、自慢できることをご紹介しましょう。

1,町面積の97%が森林です。

確かに山ばっかりだと思っていましたが、数字で見るとビックリです。
おかげで空気は最高、水もきれいで美味しいんですよ。

2,公共水道はない。山から引いてくる天然水で暮らす。

裏山に谷水を集める貯水タンクを設置して、そこから水を引くんですよ。
なので蛇口をひねると、たまにサワガニの赤ちゃんが出て来てたw
今考えると、消毒とか殺菌とか・・・大丈夫だったのかしら。

3,牛(肉用和牛)を飼っていました。

祖父が飼育していて、年頃になると売られていく(涙)。子牛の出産シーンは幼心に感動しました。
あと、私はかなり悪ガキだったので、悪いことをするとお仕置きとして、牛のエサ箱に放り入れられていました。
アレはとっても怖くて、二つ返事で「もう、しませんから!!」と、泣いて頼んでたなぁ。

4.小学校は全学年で8名でした。

同級生は私を含めて2人というね。英才教育です。
人数が少なすぎるので、複式学級といって、1,2年生が同じ学級、3,4年生、5,6年生というように、2学年が一緒になって同じ授業を受けるんですよ。

音楽は低学年と高学年で授業、体育は全校生徒みんなでやるという!
なので、あんまし上下関係なくやる感じで。
せこいこと、ズルいことも覚えれる。

5.小学校から寮生活をする子も。私は中学から寮生活へ。

町立の中学校なんですが、遠すぎて通えないもんで(公共交通機関もなく・・)、中学からは親元を離れて寮生活をしてました。
掃除、洗濯、アイロン、食事配膳、食器洗いなども、自分たちでしますので、自立します。
上級生からのイビリもあったり、なかなかハードでしたが、それでも楽しかったですよ。

私の地元にしたら、これが普通のことなんで、当時はなんとも思いませんでしたが、今、自分が親の立場となると、中学から我が子と暮らせないなんて・・悲しすぎます。
(親はやっぱり寂しかったみたいですね。)

とにかくこんな環境が「普通」と思って生きていました。
そして、ずっと日本人の殆どの職業=農業と信じ込んでいたんです。

が、現実を知ったのは、高校に入ってから!
(高校は下宿生活でした)

6.出身地は「過疎」発祥の地です

現代社会の教科書に「”過疎”発祥の地 島根県匹見町」というデカ見出しで、2ページ記載されていたのに、ビックリしました。

「過疎」って言葉は、昔からあった言葉じゃないんですね。
昔の匹見町長さんが国会で「過疎」という言葉を使って訴えたのが始まりだそうです

WIKIPEDIA 「過疎」 の説明ページより抜粋

日本語の「過疎」と言う語は島根県美濃郡匹見町(現:益田市匹見町)の大谷武嘉町長が昭和40年代に国会にて、過疎と言う言葉を使用し津々浦々と切実に町の現状を訴えたのが始まり

そうなんだー!

それに高校生になって、農家がメジャーでないことも知った(笑)。世間ではサラリーマンが多いんですってね?

そんなすごい田舎ですが、私はとっても故郷が大好きです。

そういうワケで、子どもが少ない地域だったので、地域ぐるみでいろんなの方々に育ててもらったという思い出が強いんですよね。

少人数でなんか、一生懸命、「生ききった」時代を過ごした記憶が強くて。

ふるさとの川の音や、緑、紅葉。稲穂が実る田んぼの匂い。
地域の人や祖父母の笑顔なんかが今でも、思い出されます。

自分の原点・ルーツ、というやつです。

都会に出ても、どこいっても、こんな原点があるから、私はへこたれんのよ。
そんな気概があります、私には。

以上、本川あつこの、出身地紹介でした。いえ、田舎自慢でした。

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