こんばんは!
心理カウンセラーの本川あつこ(ほんかわあつこ)です。
カウンセリングを受けに来て下さる方は、悩みや困りごと、問題があって受けにくる方がほとんど。
カウンセラーとしては守秘義務はもちろんのこと
安心・安全な場として提供したいと心がけておりますし、実際そうしています。
なんで安心・安全の場か、というと
あなたの思っていること、考えていることを、そのまんま話して頂いて大丈夫な場であり、攻撃はされない場でっせと。
そういう場がこの世に、あるんでっせと、知ってもらいたいんです。
何がいいたいかというと
カウンセリングでは別に賢くあろうとしなくって、大丈夫です。
どっちかというと、あなたのワガママを自分スタイルとして、出してもらってOKでして、それを本川あつこもOKと思っちゃうタイプなのでね。
私、カウンセリングの中で、道徳っていらないよ、と思っています。
それはクライアントさまに対してもそうだし、自分に対してもです。
道徳とは
人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体
まず、↑この道徳の定義が、ちっとも面白くない(笑)
あなたは実際、この様な人生を送りたいのでしょうか?
違いますよね(笑)
あ、もちろん目指してもらっても構いません、そういう方には、道徳に沿ってビシバシやらしてもらいます(そっちがラクかもw。でも私はしたくない。でも依頼があればするかw)
特にパートナーシップにおいて・・
パートナーシップは、濃い人間関係だけに、道徳が色濃く出る関係だなと思います。
道徳を持ち込むことで、バランスを取ろうとしている(あくまでも自分勝手なバランスね)。
『私は何が正しいか分かっていますよ、でもそれができなくって困っています。』
と、賢くあろうと、頑張っていらっしゃるようにも聞こえます。
たとえば、
◆パートナーに対し、自分の意見は控える
パートナー(夫)に嫌われるのは嫌だから。
理解あるパートナーと思われたいから。
◆妻ならこれくらいすべきと思っている
これくらいしないと愛されない。認めてもらえない。
世間の妻たちは、普通にやっていることだから。
◆こんな私じゃ、パートナーとしてダメですよね。パートナーに申し訳ない
理想のパートナー像に縛られている。
相手を幸せにできない自分は価値がない。
◆本当は、こうしなきゃいけないのに(できない)
パートナーシップでさえも、世間のべき・ねばを基準にしたがる。
などなど、書き上げてみると他人軸満載なのですが、
そう思っちゃうことは本当にありますよね。
(私も、ポロッとでちゃう時あるんです、正しさの罠で自己否定を楽しむ変態プレイを。)
できないことって、できないなー 私!
つまり、やりたくないんやろうな、私!
これが私の生きる道、やり方なんかもしれん、私。
そう思ってみて
肯定というか受け入れてみるのも、オススメしちゃっています。
私も賢くあろうとするクライアントだった
カウンセラーさんの前でもね、「物わかりのいい妻」としてカウンセリングを受けたことがあります(笑)
夫に対して怒っているのに、そんなに怒ってはいないし、私がダメだったからです、とか言ってみたり。
心では夫を祭り上げる作戦があるというのに、「夫婦修復をするべきかと悩んでいます」など宣ってみたり。
どうして、カウンセラーの前でも頑張ったんでしょうね。
当時はそうするしか、できなかったのでしょうか。
「鉄の女」を演じきることで、「絶対私は負けない・強い・正しい」という鎧をね、まとったのでしょう。
リラックスしてお越しくださいね。
ま、最初はそうでもいいと思います。
けれども、カウンセリングを受けるうちに
「おや。どうやら、私ってホントはやりたくないんじゃないかな。別に違ってもいいんじゃないかな。」
って緩んでくると
ああ、私って、こういう風に生きたいんだった、って見つけることができますよ。
それが、道徳からはみ出ていようがいまいが、納得して気持ちがラクなら、
それが一番大事~♪
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