楽しみ、喜びを与えるのは天才かな VIVANT

昨日、久しぶりにハマッていましたテレビドラマ、「VIVANT」が終わりました。寂しい。

結末を早く知りたい!のと終わるのが寂しい!のと相反する気持ちを抱えてました。

世間的にも賑わせたVIVANTですが、毎回、ネット上では考察が繰り広げられたのが、賑わったポイントではないでしょうか。

私も「アレってどういう意味があったのだろ?」、「もしかして、裏切ったのはあの人?」と考えるのが楽しくて楽しくて。

つまり、楽しさがドラマ放送の日曜9時~10時だけじゃない、ということ。
次の放送がくるまでの間も、頭の中で楽しませてもらってました。

ちなみに最終回のあとでも、まだ楽しませてもらってます。
あのときのアレは、そうだったんだ!と、また復習がてら過去の録画も見たくなる。

今回のVIVANTのような、ストーリーを考えて演出を考えて、私らを楽しませてくれる人・・って、天才だな、と思ったんですよね。

楽しんでいる間って、幸せそのものやから。どっぷり楽しんでいる、つまり、どっぷり幸せなのよね。

もちろん、いちいち「楽しいー」、「幸せー」と声に出すわけじゃないけれど、楽しみのヴェールに包まれておりました。

この楽しさの提供は、TVドラマなどのエンタメ業界の使命なんだと思うんですが、私に縁のない世界ではなく、「私もコッチ側に居たい」と感じたんです。

人を楽しませるために、女優や漫才師になる必要はなく(なってみたいのは山々)
たとえば

・会社の飲み会の幹事をする
・飲み会の美味しいお店を幹事に教えてあげる
・返事は笑顔でする
・失敗談をしゃべっる
・「へーそうなの」と話を聞く

etc、結構ある。

ほんで、きっといちいち「本川さんのお陰で楽しかったです」とは言われないことが多い。
それを言って欲しいわけじゃあないww

ただ、今回VIVANTという作品を見て、共に過ごして、楽しみ・喜びを与えるのは天才やなあ

と、つくづく感じ、与える側でいたい、と感じたという話であります。

2年後にVIVANの続編があるかも、という話もあり

・・またこの人たちは楽しみを2年間与え続けるんかーーい!と、参りました!という話であります。

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